先日、親友の女性が亡くなりました。
家族で親しくしていて子供たちも仲良し。
思い出せるのは笑顔で、
思い出せるのは笑い声で、
本当に太陽のような人でした。
亡くなった当日、
旦那さんから連絡があって会いに行きました。
会ったんですけど、
どうしても実感がないんですよね。
なんかひょいっと玄関開けて
『こんにちはー♪』って来るような気がしてね〜。
でも、もう会えないんだなぁ。
彼女とはたくさん一緒に歌ったし、
ヒビキアワセもたくさんやった。
妻と私と彼女の三人でヒビキアワセすると
いつも何だか分からないレベルで共鳴が起きてた。
彼女の声は大地のエネルギーが感じられて、
まっすぐにどこまでも伸びていく声で、
なんていうか、愛に満ちてたんだよなぁ。
だからか、
彼女とのヒビキアワセは格別で
たった三人でやっているのに、
たいして大きい声を出しているわけじゃないのに、
ものすごく響いてた。
その場が神域になったかのように雑音が一切消えてしまって、
イマココの感覚で声が響く。
そんな至福感があった。
そして素晴らしい歌い手でもあった。
技術的にはそれほど高くないのだけど、
それを凌駕するナニカに満ちてた。
彼女は反則技を持っていて、
歌う前のMCの段階で泣かせに来るのだ。
別にたんたんと喋ってるだけなのだけど、
そこに物語があって、想いがあって、
それが人の魂に響いてくるのだ。
震えるのだ。
だから彼女の歌を聴くと
『私が大切なのってこういうことだよな・・・』
っていうことを思い出してしまう。
また聴きたいなって思ってしまう。
でも、もう聞くことはできない。
ハッキリと耳には響きが残っているのだけど。
彼女が生前に歌った曲。
KOKIAさんの安心の中。
その腕
その髪
その顔
その声
全てが当たり前だった一分一秒大事にかみ締めて
生きていくことは出来ないのでしょうか?安心の中で失ったものを取り戻したいのです
『いま』をとても大事にする人だった。
なにがあっても受け入れて、
笑っている。
そんな人だった。
ねぇ 次の瞬間に全てが終わるなら
愛する人の顔を浮かべて
どんな風に笑って
どんな風に泣いたか
思い出す人でしょう
安心の中に居る人
眠りにつく前ベッドの上
愛する人の顔を浮かべ
気付いて欲しい
当たり前の幸せに…
あたりまえの幸せを何よりも大事にしてた。
とくに家族との時間。
『ただ一緒にいる』
それだけのことに心から感謝するような・・・。
別に彼女のために何かしてあげたいとかないし、
そんなの断固拒否されるだろうから
あんまり悲しむのもやめようと思うけど。
もし私に何かできることがあるとすれば、
私が幸せになる
それしかないんだよなって思う。
自分の本音本心に素直になって
やりたいことやって、
やりたくないことやめて、
嬉しいも楽しいも
悲しいも苦しいも
喜びも悩みも
そういうの全部感じながら生きてく。
そういうことだよなぁ。
やりたいことやって、
やりたくないことやめる。
けっこ、これ、
しんどい時もあるんだけどね〜〜(笑)
まぁ、そうすると彼女の声で聞こえるんですよ。
『やりなよ〜〜〜♪』
って。
'`ィ (゚д゚)/
( ゚Д゚)ゞ リョーカイ!!
あーーーーーーー
くそーーーーーー
ぜってージジイババアになるまで
一緒に遊んでると思ったのになぁーー・・・
さ!生きよう!
ともかくも、人生、楽しもう!
で、わたしは、本当はどうしたい?