羽田さんに出会ったのは、半年ほど前。
私は歌や音楽の経験はなく、何か発散できる習い事ないかなぁ、と
たまたま見つけた地元のゴスペルグループで5年ほど歌ってきました。
5年、元オペラ歌手の先生の指導のもとソプラノパートで歌って来て
「息漏れのしない裏声」は身に付きました。
でも悩みは、それで声量が出ない事。
力強さはあまりなく、さらっとした感じの歌い方しか出来ない。
声量はそのうちついてくる、と言われるままに5年。
ソプラノは地声を頑張ると、高い声が出にくくなるから
低いところはあまり歌わなくて良い、他のパートに任せて、
そんな風に言われ続け、いつしか「地声=悪」になっていました。
確かに、地声の領域になって歌っていると
上の声に行った時、実体がないようなスカスカした声になりやすい。
でも、そうするとまともにひとつの曲が通して歌えない。
どうすればいいんだろう?
地声がだめなら、上の声の下限を下げる練習をするしかないのか。
でもそれだと、やっぱり声量に自信がない。
5年続けて来て、上の声の声量も自信が持てるほどついていない。
それなのに、下限を下げた所で満足に歌えるのだろうか。
本番前には、ダメ!もっと!しか言われなくなってくるし、つらい‥。
もう、声が「出る・出ない」にしか頭が回らず
表現とか、楽しさとかが、二の次になっていました。
普通の合唱よりは自由なゴスペルクワイアのコーラスで
少し声の大きい人がいると簡単にかき消されてしまう自分の声。
それで、歌っている意味なんかあるんだろうか?
歌いたいけれど、歌うのがつらくなってくる日々でした。
そして、たくさん発声についての事を調べてみました。
だいたい、似たような記事に行き着きます。
ミュージカル経験のあるボイトレの先生にも付きました。
身体が楽器だから身体を作って、喋れれば歌えるんだから、
そう指導されて、1年ほど通いました。
でもどうしても、自分の持ち続ける疑問やコンプレックスに
もう一歩届かない。どうしてもスッキリしない。
今思えば、欲しかったのは技術的な云々ではなく
精神的な自信に繋がる「大丈夫!」だったのかもしれません。
そんな中、たまたま羽田さんの動画を発見しました。
今までで一番信頼できたボイトレの先生の「身体が楽器よ」を作るための、
その仕組みや方法を、より具体的に、より深く説明されていました。
でもひとつ決定的に違ったのが、基本は身体を緩める、ということでした。
それまでに習って来たものは、身体をがっちり整えて、
歌い終わる頃にはあちこち凝ったり痛くなったり。
喉は緩めると思っていたけど、身体もなの?と、動画を見漁り‥
気づいたらブログに辿り着き
気づいたらメールをしていました。
そこで羽田さんにメールしたとき、自分の状態をどう説明すればいいか
考えあぐねた結果、
「サイドブレーキしたまま走ってるみたいに苦しいんです!」
というような事を訴えました。
返って来た答えが
「まさにその通りだと思います」
でした。
なんというか‥分かってもらえた!?という気分になりました。
その後に続いたのが
「もっと本気出そうぜ!」
でした。
あれっ?今まで私、本気全開のつもりだったんだけどな??
自分の全開が、ちっとも全開じゃなかった。
じゃあ、全開になれたら、どうなるんだろう?
いっきに興味がわきました。
たくさんお話をして頂いて、
どんな小さな質問も、素人丸出しの質問にも
ちゃんと答えをくれました。すごくスッキリ!
そして、努力の方向を間違えば、0どころかマイナスなんだな、と
深く思い知る事が出来ました。
羽田さんに出会うまでは、
「うまくそつなく歌うための声」‥声が道具でした。
でも、道具‥それは楽器であり、すなわち「自分の身体」であり
声そのものではありませんでした。
それから、表現するための声が欲しいと思うようになり
自分の声に対するイメージも深くなって行きました。
そのためには、自分の精神的な面にも向き合う必要がありました。
なぜなら、羽田さん曰く「声は内面を表す」からです。
自信がなければそれが声に乗り
迷いがあれば、それがまた声に乗る。
だから私は、きちんとまずは自分に向き合おうと
「もぐらカルテ」というものを作りました。
(地上に出て来れないもぐらが自分みたいだと思ったので)
何故、人前に出る事、注目される事に不安が生じるんだろう、
自分の心の深くを覗いて、時間を遡り、ひとつひとつ書き出しました。
忘れていたような事も思い出し、ほぼ全ての「できない」心を
解いて行きました。
それと同時に「ことりカルテ」というものも作りました。
こちらは、実際に楽器としての「身体」を整えて行くにあたり
指導いただいたことや、自分がうまく声を出せた時のイメージなどを
細かに書いて行きました。
そのページの一番最初に書いたのが「発声は筋トレ!」
2~30分でいいから、毎日地道な発声練習を続ける、と。
発声は、書かれたままにやってみれば簡単に出来るような物ではありません。
けれど、続ければ確実にできるようになるものです。
言ってみれば、自分の本気度と比例している。
そしてその本気に際限なく付き合ってくれる‥というか、
まだ上あるだろ!って引っ張ってくれるのが、羽田さんでした。
ここが、今までのボイトレの先生と違う所でした。
際限なく付き合ってもらえるなんて、よく考えればすごく贅沢です。
じっくり自分の状態を見て、出来るようになるまで見てもらえる。
‥いや、及び腰を許さず引っ張り続けてくれます。
天才は、99%の努力と1%の才能である。
成功者は、成功するまで諦めなかった者のことを言う。
いつかどこかで聞いた言葉を、まさに体現させようとしてくれている。
そんな気がしました。
そんな羽田さんは、とても地声を大事にされます。
でも、裏声がだめというわけではない。
現に、私が現状出しやすい上の声も否定をされることは決してありません。
それも表現のための手法のひとつであるし、
音域の限界というのも確実にあるので、
最終的には両方できるようになって、表現によって使いこなす、
「自由な声を手に入れる」のが私の最終目標です。
ただ、教わるうちに、私個人のイメージとして
「地声は魂(感情)を燃焼させるもの」
「裏声は魂を浄化させるもの」
と、明確に分かれて行きました。
曲にもよりますが、裏声で歌っていると
瞑想後のような感覚になれます。
なので、1日の終わりは裏声で気持ちよく歌える曲を
お風呂に入りながら歌って終わります。
原始から変わらぬ人間の根源のようなものが
吹き抜ける風にのって、自身の周りにたゆたっているような
何かの真理とひとつになって浄化し、また自分に分化してくる、
そんな感覚です。
歌は、祈りや祭りには欠かせないもの。
ずっとずっと遡れば、声はそういうところに辿り着くんだな、と思います。
そういった、個人の感性や感覚、目指したい姿、等々
一切否定されない安心感もあります。
むしろ、もっと出して出して!という感じで。
羽田さんは‥、
五行(木火土金水)を表せと言われたならば
五つの声音ではなく、それぞれそのものになれるだろうな、と思います。
五声(呼言歌哭呻)ひとつひとつに深い世界を持ち
五情(喜楽怨怒哀)を1音で表現できるのだろう、と。
そういう深い声を持つ人に、自分の生まれたままの声、素の声を
掘り出してもらい、磨き方を教われるのはとても幸運だと思いました。
スピリチュアルな事もよく語られますが、
声帯や肉体への造詣も深く、アヤシイだけの事は仰りません。
きちんと、声の疑問にはほぼ答えが返ってきます。
たぶん、声に関することなら全ジャンル網羅する勢いではないだろうか、
という、底も天井も見えない人です。
だからこそ、自分の限界を感じずに済みます。
あそこまでだな、っていう感覚はなく、どこまでも自分の可能性を広げてゆける。
だってきっと、私がどこまで頑張ろうと羽田さんほど声マニアにはなれないし!
届きそうにはないけれど、いつだって姿が見えている人、というのは
教えて頂くにあたっては、結構理想ではないかなと思います。
そうして出会って半年、個人指導をお願いして2ヶ月ほど経った今、
自分の声が生まれて初めて好きだと思えるようになりました。
私の声聞いて、と少しずつ思えるようになりました。
地声を頑張ったら上の声は出なくなる、という思い込みも粉々になり
地声を「正しく」頑張れば、上の声ももっと良くなる、が信念になりました。
今はとても楽しいです!
諦めていた、自分が心からやりたい種類の絵も、
周囲の言葉にに左右されず描こうと思えるようになり
絵の仲間に声をかけて、今年は新たに何かやろう、と約束もしました。
古いものを解体して、新しいものを作り上げて行く決意も
とても自然に、心の中に生まれました。
声ひとつで、自分の人生は自分の手にある事をこんなにも実感し
そのために動き出そうと思い始められたのは、
半年前には考えられなかった事です。
羽田さんにメールをしたのは、直感のようなものでしたが
とても大事なご縁になりました。
自分を信じるって、とても大事。
そして、その自分を信じてくれる人と出会える事も、同じくらい大事。
羽田さんは、必ずその人の可能性を信じてくれます。
あとは、自分次第。
すべてが自分次第です。
私はこれから1年弱、まずは今までになく「本気」で声に取り組みます。
そして1年後には必ず、今なりたいと思っている自分になっていると信じています!