コータローです。
知ることだけで声が変わる。
想うだけで声が変わる。
そんな瞬間についてお送りします。
しゃぼんだまとんだ
やねまでとんだ
やねまでとんで
こわれてきえた
いわずと知れたシャボン玉の歌ですね。
子供たちがワイワイと楽しそうにシャボン玉を飛ばして遊んでいる様子がありありと目に浮かびます。
ですから、この歌を歌う時はものすごく明るく、楽しげな声で歌われるようなものでしょう。
子供達のあかるく楽しい様子。
そんな情景を歌うのであれば、非常に明瞭で澄んだ音色がふさわしいかもしれませんね。
ですが、この歌詞には、こういう背景があるともいわれています。
作者の野口雨情さんは、この詩を書く前に、
「お子さんを亡くされてる」
というものです。
私はこれを聞いた瞬間、これまで明るくて楽しげに感じられたその風景が一変するような感覚に見舞われました。
しゃぼんだまきえた
とばずにきえた
うまれてすぐに
こわれてきえた
かぜかぜふくな
しゃぼんだまとばそ
楽しく明るく遊んでいる子供を見つめる野口雨情と、その眼差しの背後にある想い・・・。
もし、歌われる声がまったく同じように明るく楽しげに聞こえたとしても、なにか別のメッセージが込められているように感じられるのではないでしょうか。
この説が本当なのかどうかは諸説あるようです。
しかし、真偽はどちらでもいいのです。
どのようにこの詩を解釈し、見立てるのか?
どのような想いを声に乗せるのか?
そこが大事です。
その結果、やはりこれは子供達の天真爛漫さを歌うと決めれば、そう歌えば良いですし、
背後に違うストーリーを描くのであればその想いを声に込めれば良いのです。
あなたはどのような想いを声に乗せ、誰に届けようと思いますか?