今日は今から合唱指導に行きます。
演目は大地讃頌です。
これは今年で4回目になるのですが、
311があったちょうどその日、その時間に大地讃頌を奉納する、
というイベントです。
被災地である石巻にある塩竈神社の分社が
ちょうど地元の富士吉田にもあり、
そこの前で演奏させていただくのです。
そのための練習と指揮指導を依頼されているってわけです。
こういう催事で合唱を歌うというのは莫大なエネルギーを使います。
単に歌うというよりは、そこに何かしらの『祈り』を乗せるのです。
『祈り』とは『意乗り』であり、
つまり自分の意志を乗せる、込める、ということなのです。
こういうときに技術うんぬん言ってもまったく始まりません。
そうではなくて、どう『祈り』を歌うか?が大事です。
そういう場合だと、かなり練習法も特殊になります。
とにかくポイントは
『エネルギーを高める』
ということに集中します。
では、エネルギーはどうやったら高まるのか?
それが、
・集中力を高める
・ありありとリアルにイメージする
・メンバー同士でエネルギー循環を起こす
ということです。
私はこういう練習の時は音程に関する感覚スイッチをオフにしていて、
少々ズレていても気にならないというか、むしろ聞いてません。
そうではなくて、
『本気で声出してるのか?』
だけに感度を全振りしています。
例えば練習の最初に必ず言うことがあります。
それが、
『間違えたことが分かるように出してください』
『というか間違えてください』
『周りに合わせなくていいです』
『全力で声を出せばそのうち合います』
と言うことです。
とにかく、まずはなりふり構わず全力で声を出してもらう環境を整えます。
と言っても、
みんな最初からできるわけではなくて、
ついつい抑えてしまったり、
周りに合わせようとしてしまったり、
正しい発声で出そうとしてしまったり、
イイ声を出そうとしすぎたりします。
その思い込み、枠をどんどん取り払っていきます。
取り払っていく方法はその時々で変わってくるのですが、
とにかく
『全力で声を出さないとダメらしい』
という状況をつくりだしていきます。
しばらくすると
抑えていたエネルギーがどんどんと解放されていって、
ときどきめちゃめちゃいい音が響くようになってきます。
別に音が揃っているからというワケではないのですが、
『あ!今のは・・・!!』
というのが分かる輝きが生まれます。
そうなると、みんなの表情もがぜん生き生きしてきて、
まったく別人のような声になっていきます。
そういう『生きた声』はエネルギーが非常に高いのです。
『想いを込めて』
それは大事ですし、もっとも大切にしたいところですが、
そもそも論として
私は全力で声を出していいのだ!!
という『許可を全力で出す』ことがまず最初に必要だと思っています。
ぶっちゃけ、多くの人は自分の声の半分の力も出せてないです。
いや、半分出せていればけっこう良い方で、
中には30%以下という人も多いです。
なぜか?
それが『恐怖心』です。
自分にはそんな声は出せない。
出してはいけない。
出したら怒られる。
出したら目立ってしまう。
出したら性格がバレる。
出したら下手なことがバレる。
出したら・・・
全力を出してしまうと、出せてしまったら、
出して本当の実力が分かってしまったら、、、
いろいろと不都合なことが露見してしまう・・・かもしれない・・・。
こういう恐怖が前に進めなくさせていることが本当に多いです。
全力声は人生を変えてしまう
ただしその変化した先は喜びだけではありません。
圧倒的な恐怖も同時にやってきます。
全力を出すからこそ、自分の限界も見えてしまいます。
今の自分の、、、ということですが。
けど、
なぁなぁで、
そこそこで、
ぼちぼちで、
まぁまぁで、
ほどほどで、
そういう意識でいるあいだはいつまで経ってもそんな感じの声のままです。
でも、そんなのもったいないと私は思う。
だって、本当は出るのだから。
どこかのタイミングで、
人生のある時期で、
本当に必要なとき、
変わると決意したとき、
全力で声を発する!!
それができたときは素晴らしい響きが生まれてくる。
その人にしか出せない、
その人のすべてが乗った、
その人だけのエネルギー。
これが人生を変える。
今日の練習と、日曜日の当日、
参加するメンバー全員で歌い、祈りを奉納してこようと思います。