こんばんは、コウタローです。
今週末が本気の合唱、ついにファイナル!
今回は初の夜間野外演奏ということで、
照明器具やら音響機材やらキーボードやらが
部屋に集結してヤバいことになっています(笑)
▲機材の数と配線がエグい(笑)
今回の曲は『巡礼』という題名。
歌うことでたどり着くのは歌詞にある
『己と出会うために』
という場所です。
たったこの10数秒程度で終わってしまう
このフレーズをみんなで命を燃やして歌いたい。
そのための準備に1年かけてきました。
私はいったい何のために生きているのか?
ずっと孤独だと思っていた。
だけどそれは本当ではなかった。
ふと空を見上げたときに
空の青が私の目の中に飛び込んできたときに
海も川も私の心も彼の人の心も
すべて『空の青さ』でつながっていた。
人はけっして一人ではなかったのだ。
そんな『己とは何か?』というテーマを
全員が本気で灰になるほど燃えて、
魂を共鳴させて歌います。
そのときに何が起きるか??
…さっぱりワカンネェ(笑)
けど、言葉では言い表せない
ナニカが起きることだけは予感されてて
すでにふるえている。
こんな命あずけられるレベルで
一緒に合唱できるメンバーと歌えるのは
本当にありがたい。
ヤバいなーーー。
マジで燃え尽きそうだなー。
さて、キープラスワンを受講されている中村さんから
とってもいいなーっていうメッセージが届いているので、
シェアしたいと思います。
パンフルートっていう楽器に
ドハマリして突っ切っている方ですね。
色々書いてくださってて、
着眼点とかめっちゃおもしろいなー
文章うまいなーと思いながら読んでます。
突っ切ってる人ってすごいなぁ。
これは1通目のもので、
『思い込みを手放した時をおしえてください』
っていう質問に対して、ですね。
コウタロー様
質問について振り返っていろいろ考えてしまいました。
自分のことを思い込みの激しい人間だと思うからです。
1つ説明しやすいことでお話しします。
私はブスでだから誰にも愛されないし
結婚できないと思っていました。
私が生まれた時、
報せを聞いて病院に駆けつけた父に母が開口一番、
「ブスでしょ」と言ったという。
本人にとって笑えない
致命的なエピソードが心に巣食って
長いこと自分は価値のない人間だという思いでいました。
今の夫が明るく屈託のない人で、
お付き合いが始まってから何度となく
「私は大丈夫なんだ」
という気持ちにさせてくれました。
それは私は10人並みの顔で
これを変える事はできないけれど
私はこの顔で生きていくんだと
自信をもって言えるようになった、
ということです。
それは長いことかかって
少しずつでしたが表情も変わっていきました。
ちょっと関係ない話だったかもですが
私にとってはきっかけになる出来事でしたので。
動画を拝見して、パンフルートを吹いていても
同じように高音で力入れないと出ないでしょ、
みたいに思ってしまうことあるあるなので共感しました。
ではまた
ありがとうございました。
ああ、、、これはすごく
いい出会いをされましたね〜。。。
このお話、もう、めちゃめちゃ
重要なこと書いてくださってまして。
関係ないどころか根幹そのものですよ、これは。
ある言葉が『呪い』になることがあります。
言った本人は覚えてなくても。
言った本人に悪気はなくても。
言った人が誰か覚えていなくても。
人づてに『〇〇さんが言ってた』と聞いただけでも。
たった一言が胸に突き刺さって抜けない。
氷のように心を冷やし続ける。
呪いとなって人生を支配してくる。
そんな経験を持つ人はけっこう多いのかもしれません。
私の経験を話すと、小さいころ気づいたときには
『私はダメ』という設定がありました。
私の場合は多分に母の影響ですね。
私が幼少期病弱すぎて
夜になると喘息の発作がヤバくなり
夜中にしょっちゅう病院に
連れて行かなければならなかったことと、
その頃ビンボー過ぎたことと、
父の実家と母の折り合いが悪かったこととか、
色々重なってたんだと思います。
『何で発作とか起こすの!!』
『もう嫌だ!!』
『やめて!!』
みたいになるのもある意味仕方ないのは分かります。
ていうか、子どもがいる方は体験済みでしょうが、
子どもが熱出したり咳き込んだりしてると
夜とか寝られないじゃないですか。
これがたまーにならいいですけどね。
まいにちまいにちまいにちまいにちだと
けっこう気が狂いそうになる
ことだってあるよなーとか思いますし。
ていうか、当時の母って
いまの私よりも15とか若いわけですし。
愛着整ってなければ子どもが苦しいのは理解できるけど、
責められてる…!!って感じることはあるって
いまは分かります。
とはいいつつも、
そんなこと子どもは知らんわけで。
なんか知らんけど、
苦しそうにしてると
お母さんは嫌がるらしいぞ…!!
じゃあ、これはいけないらしいぞ。
苦しいのは我慢しなきゃいかんらしいぞ。
で、感情抑圧一直線です。
感情を封印して無感覚になることで
なんとかやり過ごそうとしてたわけですね。
まぁ、そんなこと言っても
やり過ごせないわけですが(笑)
喘息ヤバいんですよね〜。
細いストローで呼吸する感じですから
吸えねーし、吐けねーし、ヤバい。
あ、もしかしてそこで呼吸法覚えたとか?(苦笑)
ともあれ、
『感情を感じてはいけない』
『辛いとか悟らせてはいけない』
と思ったっぽいです。
幼少期の私は。
いや、いま考えればツッコミどころしかないのだけど、
その当時は最適解だったんだよね。
小さい自分が必死に考えた生きる手段だったんだよね。
ただ、成長に合わせて常識をアップデートする
必要があったのだけど、それはできなかっただけなんだ。。。
で、その根源には
『私はダメ』
が常に渦巻いていた。
自分はダメだから発作が起きて迷惑かけるのだ。
自分はダメだから迷惑をかけるのだ。
ダメではいけない。
ダメな自分ではいけない。
でもダメな自分じゃなくなることもできない。
ああ、やっぱり自分はダメなんだな。
こういうの、ヤバいくらいに根深いんですよね。
『ダメ設定』が入っていると
何が起きてもダメなんですよ。
例えばテストの点とかだったら、
出来なかった場合はダメ。
これは分かりやすい(ホントは別にダメじゃないんだけどね)。
でも、そこそこ出来た場合でも
自分よりできる人はいるじゃないか。
だから自分はダメ。
という超理論によるダメ出し(笑)
いや、普通にそれ出来てんじゃんーーー
ってレベルでもダメなんですよ。
なんたって『自分はダメ』なので。
ダメな自分でなかったらダメなので。
ダメな自分でなければダメなので。
ダメな自分でなかったらそれは自分ではない。
自分がダメなのは絶対。
ダメな自分であり続けなければならないのだ。
ダメな自分であるためにダメな自分の証拠を見つけよう。
ダメな自分であることを生涯をかけて証明し続けよう。
そうだ、自分はダメなのだ。
ダメな自分、バンザイ!
ダメ人間に俺はなる!!
いや、これ、書いててキモいけど、
マジでこういう感じだったからなーー。。。
いまはこういうスパイラルから
けっこう抜けてて
毎日あーオモシロで生きてますが、
ここまで来るのにあがきはじめてから
少なくても15年はかかったなぁー。
だから、中村さんが書いてくれてる
「私は大丈夫なんだ」
って言葉。
これを普通に言えるようになるって
いかにスゴいことか、って話ですよ。
そして、その安心感を
夫さんがずっとずっとずっとずっと
幼少期にほしかったはずの
言葉とぬくもりを与え続けてくれた。
そして、
中村さん自身もまた、
『私は大丈夫なんだ』
『私は大丈夫になっていい』
と許可を与える覚悟を決めたわけですよね。
正直な話、
ダメ設定になってる人って
『大丈夫だよ』
って何回言ったところで
ぜんっぜんまったくこれっぽっちも
信じないんですよ。
だって呪いがかかってるんでね。
『あなたはだいじょうぶ』って言われたところで
『は?んなわけねーだろ』
『いやいやダメですから』
『ほら、ここもダメですし』
『でもきっとダメですし』
『たぶんダメですよ』
『そんな簡単に言われましても』
『あなたはイイですよね、ダメじゃなくて』
みたいな反応になってたりしますし。
たとえば漫画でこういうエピソードあったら
長くても2巻分くらいで収めるかと思いますが、
残念ですが、ここ現実なので
そんな簡単にいくわけねーつーか。
2巻で登場して
『私はダメ』とか言ってて、
こいつめんどくせーやつだな
ってところから、
『私は大丈夫なんだ!』
『私は幸せになっていいんだ!』
なんてところに到達するまでに
軽く50巻は超すよね。
これに付き合ってくれた人とか
マジで神すぎますよ。
そして、それをガチで乗り越えてきた
本人もまたスゲーのですよ。
『変わろう!!』って意志とか
『変わっていい!!』って許可とか
『変わってやる!!』って覚悟とか
そういうのを
倦まず弛まず取り組んでいって
ときどき無性に落ち込んで
何もかも嫌になって、
でも、信じてくれる人がいて、
だからもういちど進める。
そんなことの繰り返しで
たどり着いていくような境地。
それが
『私は大丈夫なんだ』
という言葉なんだだと思います。
そして、やっぱり『人は大丈夫なんだ』って思ってます。
それでは、ありがとうございました!