いやー、昨日の大地讃頌の練習はかなりスゴかったです。
311に地元の塩竈神社にて奉納演奏するための練習でした。
とにかく最初から最後まで
エネルギーを高めることだけにフォーカスした練習になりました。
というのは、
莫大なエネルギーを凝縮してはじめて祈り(意乗り)になる
からです。
いくら大地への感謝、
地球への感謝、
人類への愛とか言っていても・・・
確かに視点は高く、フィールドも広いですが、
そもそものエネルギーが少なかったら、
大海にひとしずくを垂らしたが如く、
薄く薄くなってしまいます。
だからまずは
自分の中に普段は眠っているエネルギーをたたき起こす。
自分の中に莫大なエネルギーが眠っていることに気づき、
それに火をつけてやる。
要は『本気』で声を発する!!
これが必要なのです。
そこで、まず最初にやったことが
『息を流し続けながら歌い続ける』
という練習です。
つまり大地讃頌だったら
はーはーなーーーーるーー
だーいーちーーーーのーーーーーー
ふーーーとーーーーーーーおー
こーーーろーーーーにーーーーーー
のように歌ってみるということですが、
これが最初から出来る人はまずいません。
要は息を同じ太さで流し続けながら声を出すということなのですが、
息とは『意+気』であり、
エネルギー(気)をどこへ向けるか(意)という意味を持っています。
なのでどうやって声を出しているかに生き方が表れてきます。
・ついつい息を節約してしまう人
・途中で息が止まる人
・息の量を一定に吐けない人
・すでに息が無いのに絞り出そうとする人
・喉を締めて息が出ないようにしている人
・息を浅くしか吸わない人
さまざまです。
しかし、歌っている本人は
そうやって声を出していることに気づくことがなかなか難しいです。
それは『それが普通』になっているからです。
だから練習ではとにかく
『アンタの声はそんなもんじゃねぇだろ・・・?!』
『まだまだまだまだまだ行ける・・・!!』
という感じで、
上限の壁、天井をぶっ壊していきます。
ドラゴンボールの悟空がつかう界王拳みたいなもんで、
一時的にでも普段のエネルギーの3倍4倍、10倍20倍と出すんです。
そしたら、ビックリするんです。
『自分ってこんな声が出たのか・・・!!』
『ええっ?!めっちゃ声出しやすかった・・・!!』
『超気持ちいい!!』
こうなってはじめて曲作りのスタートラインです。
それまでは曲想もへったくれもありません。
エネルギー低い状態で声出して何ができるってんだよって感じです。
エネルギーバリ高になっているときの合唱はホントヤバいですよ!
自分の声そのものも全開で出ますが、
その上で周りの人のエネルギーともかけ算されます。
一人ではなかなかたどり着けない至高の領域にみんなとだったらたどり着ける。
それが合唱なのです。
そしてその状況を作り出すことが指揮者のお役目ってわけですね。
で、
『本気』を出すというのはかなり大きなテーマだと思っています。
私自身も『本気出せない病』に長らく罹っていたので。
というか、いまでもときどきそれが頭をもたげてくることもあります。
『本気を出せない・・・』
と悩んでいる人は本当に多いのです。
『本気出せたら人生変わる』
それはうすうす分かってるんだけど・・・
けど・・・動けない。。。
悩み、足が止まってしまう。
手をこまねいてしまう。
目を背けてしまう。
本当は1番やりたいことがあるのに2番目、3番目のことに力を注いでしまう。
こういうことは本当に多いのです。
昨日の記事ではいま動いているKYOMEI PROJECTに参加している
江村さんからメッセージが届きました。
「全力を出してしまったら色々と不都合なことが見えてしまう」
というのが今の自分そのものだと思いました…
心がイテテって感じです(苦笑)
でも、もう腹くくるしかないんですよねー…
全力の先にとても醜いどろどろとしたものが出てくるかも知れないし
ボロボロの弱っちい自分が出るかも知れない、それを人にも見せたくないし、
自分も直視したくない、みたいな恐怖心が声の蓋をしているのかなぁと思いました。
結局日々具体的に何をしたらいいのか
正解のない答えを探すような心持ちで過ごしていますがひとまず声の基礎の基礎、呼吸、特に吐くことと
体を通じて潜在意識(潜ちゃんと名付けましたw)
の声を聞いて仲良くなるための自己対話かなぁと目標定めつつあります。
4月のステラで自分はどんな声を誰に届けたいのか
もっとリアルに描いていきたいなぁと思いました(u_u)
江村梨紗
正直なところ『本気』『全力』は怖いです。
だって本気で全力出したら、出してしまったら・・・
醜いどろどろ・・・出ます。
ボロボロ弱い自分・・・出ます。
見せたくない自分・・・出さなきゃ本気出ません。
直視したくない本音・・・出ます。
全力は安定とは真逆だから。
もうね。
ここはもう、アンパンマンのマーチですよ。
なんのためにうまれて
なにをしていきるのか
こたえられないなんて
そんなのはいやだ!いまをいきることで
あついこころもえる
だからきみはいくんだ
ほほえんでそうだうれしいんだ
いきるよろこび
たとえむねのきずがいたんでも
『たとえむねのきずがいたんでも』
これ!
実際、誰でも何かしらの心の傷を抱えているのです。
そしてその傷の付き方や深さは人それぞれだし、
痛くて動けなくなっている人、
本当は痛くてたまらないのに気づかないふりをしている人もいる。
けど、それでも。
他の誰でもない、
私は、
私の魂は、
どう輝きたがっているのか?
『わすれないでゆめを
こぼさないでなみだ
だからきみはとぶんだ
どこまでも!』
で、
わたしは、
本当は、
どうしたい?
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