(名曲)『春に』〜この気持ちはなんだろう〜

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約11分

谷川俊太郎さんの詩に
木下牧子さんが作曲した
春に』という合唱曲があります。


 

 


冒頭の歌詞にこうあります。

 

 

この気持ちは何だろう
この気持ちは何だろう
目に見えないエネルギーの流れが
大地から足の裏を伝わって
この気持ちは何だろう
この気持ちは何だろう
ぼくの腹へ胸へそしてのどへ
声にならない叫びとなってこみ上げる
この気持ちは何だろう

 

 

はじめてこの曲を聞いたのは
大学生のころだったのですが、
正直


『青臭ぇぇぇぇーーーーー』


と思いましたね(笑)


聞いてて背中がムズムズするぜ・・・
という感じです。


中学生とか高校生とか
若さいっぱいの人が
夢と希望に満ちて歌う曲であって、
大人向けの曲じゃないなー


とか思っていた時期もあります。

 

 


が、ですよ?


いま、この曲を歌って、
聞いて、あまりの瑞々しい感性に
むしろ泣けてくるくらいなんです。

 

あの空のあの青に手をひたしたい
まだ会ったことのないすべての人と
会ってみたい話してみたい
明日(アシタ)と 明後日が一度に来るといい

 

このあたりとかスゴいですよ!

情景めっちゃうかんでくる。


自分の手をかざした空の向こうには
まだまだ自分の未知の世界が広がっている。
私は空を通じて世界とつながっているんだ!


そんなワクワク感に満ちてくる


こういうのがしみじみ染みるんですよね。

 


この感覚は以前には感じられなかったことです。

 


自分は何者かに縛られている。
人は自分を理解できないし、
自分は世界に一人なんだ。


そんな感覚がどこまでも続いていたし、
そのさみしさを感じたくなくて
閉ざされた世界でうずくまっていた。

 


けど、少しずつ自分の感覚に従って生きはじめて、
怖いなって想いながら一歩を踏み出して、
失敗を繰り返して、


ちょっとずつ変わってきた

 


泣いたり
笑ったり
怒ったり
喜んだり

 


そんなアタリマエのことが
こんなにも心に響くなんてね。

 


私は高校までの記憶があんま無いんですけど、
おぼろげにある幼稚園の頃の記憶でも
すでに自分の感情をうまく出せなくなってました。


だからこの40年近くを経て
やっとそこに回帰してきた。


そんな感じがありますね。

 


『春に』名曲ですよ。
来月、主催する音楽会があるので、
そこでも歌います。


指導してる女声合唱団があるのですが、
そこで一緒に歌おうかと。
アルトですけど(笑)

 

 


あ、そうそう、ついでに発声的な話を。

 


合唱や声楽では一般的に
S ソプラノ
A アルト
T テノール
B バス
と別れています。


SAが女性で、TBが男性ですね。


で、アルトってのは
女性の低い方なんですけど、
これを男性が歌うとなると
かなりのハイトーンになります。

 


例えば『春に』の音域だと


ファ → シb


くらいで、小田和正さんの
『言葉にできない』くらいの音域です。


けっこう高いです。

 


で、このくらいの高さになってくると
頑張るとダメです。


というか、うるさくて周りとまったく溶けませんし、
そもそも高すぎて喉が死にます(笑)

 


ちょうど、年末にこんなメッセージもらいました。
中西さんです。

 

 

コウタローさん


お久しぶりです。
夏の発声セミナーでお世話になった中西です。
今仙台に帰省中です(実は私は仙台の出身です)。


先日、プロの声楽家の先生のレッスンをちょっと受ける機会があったんですが、まず、先生がおっしゃっていたのが「息を少し流してあげれば、声帯は自然にくっついて、声が出ます。」
うおっ、これってまさにベルヌーイじゃないですか?!
「話す声と歌う声は同じ。地声にきちんと響きをつけてあげれば、自然にほかの人とも合う声になります」
そうか…やっぱり基本は地声なのね!


そして私が先生に指摘されたのは、声を出す瞬間に身体に力が入ることでした。
私はいつも「正しい音程で歌わなきゃ、子音をちゃん立てなきゃ、言葉をちゃんと歌わなきゃ、みんなに負けないくらいしっかり声を出さなきゃ、軟口蓋をあげなきゃ、お腹で呼吸をしなきゃ」と「〜しなきゃ」ばかりで歌っていたので、硬くなるのも当然…


せっかくの自分の声を自分で台無しにしていることに気がつきました。そもそも、「あれしなきゃ、これしなきゃ」と思うのは、自分の声はこのままじゃいけない、と思っているからで、要は自分で自分の声を全く良いと思ってないんですね。自分の声をそのままリラックスして響かせればいいのに…


そして、それは私が私自身に対して「私なんて…」と否定的な思いを持っていることと同じだということにも気がつきました。私ったら自分で自分をつまらなくしてるorz。
ものすごい気づきでした!
歌って本当に深い。


それでは、また来年も宜しくお願い致します。
どうぞ良いお年をお迎えください。

 


中西亜紀子


ベルヌーイってのは
物理学の『ベルヌーイ効果』を発声に応用して
私が独自に研究した超脱力発声法です。


なのですが、まぁなんていうか、
上手い人はフツーにやってる
声帯の使い方なんですよね。


自然界の法則ってのはすごいです。


あれに従う動きというのは
『美しい』のです。


そして


『美しい』とは『無駄がない』のです。


余計な力をそぎ落としていくと
そこに『美しさ』が生まれてくるんですよね。

 


こういう
上手い人がフツーにやってるけど説明できない
ってところを解読して
誰にでも実戦可能なように落としたのが
『ベルヌーイ発声法』なんです。

 


なんていうか、
発声でこじれる前に知っておきたかったですね〜。


まぁ、でもこじれたからこそ
こういう生き方につながったわけだし、
何がどうつながるかワカランもんです。

 


で、中西さんの後半の


『私なんて・・・』


という思いは私もずっと抱えていましたし、
いまでも時々顔を出してきます。

 


自己否定』は多かれ少なかれ
ほとんどの人が持っていると思いますが、
いちおうアタマでは分かっているんです。


『そんなのは幻想だ』
『自分が勝手に思っているだけだ』


ってことに。

 


けど、だからってムリヤリ無かったことには
できないから苦しいのです。

 


ポジティブシンキングとか
思考の切り替えとかで
一旦フタをしたとしても


その感情がなくなったわけではありません。

 


体の中に不協和音として
常に鳴り響いているけど、
フタを分厚くして防音するか、
聞こえないフリするか・・・


ついついこういうことしちゃう。

 


すると『感情』はどんどん
グレていきます。


『へっ、どうせ私なんか無視されるんだ』
『どうせ何を言っても聞いてくれねーし』
『自分のことなんか大事にしてくれないんだ』


そんなふうになっていく。

 


これが続いていくと
次第に


『絶望』もしくは『怒り』


を纏うようになっていきます。

 


これは人の性格によって違いますけど、
中西さんや私は『絶望』よりなのでしょう。

 


こういうのをどうにかしたくて
自分がなぜ生きているのか知りたくて、
自分でも生きていていいんだって思いたくて、
自信を持って『私は私だ』と言えるようになりたくて、


みんな頑張ってるんだ。

 

 


白神さんからこんなメッセージをもらいました。
白神さんもまた激動の時期を超えて、
いま自分に回帰してきました。

 


コウタローさん


こんばんはー!
子供向けの映画ってかなり考えさせられる作品多いですよね。
メッセージが素直、どストレートだからこそ心に刺さるのかなー、と。
そもそもアンパンマンの歌は戦地で命を落とした弟さんの為にやなせたかしさんが書いた詩だそうで。
それを知って改めて歌を聴いたら涙が止まりませんでした。


あと、わたし的に一番泣けるアニメ映画は
クレヨンしんちゃんの「大人帝国の逆襲」です。
あれは何度見ても泣けます!

 


で、ここから自分自身とカーナちゃんを重ね合わせて考察してみましたが。
また、いつもの如く長いです(笑)

 


私、元々ジャッジやべき論の塊でした。
これはこうあるべき!というより
「それって常識じゃね?」
「そんな事も分からんで今まで生きて来たん?」
って周りを見下していました。


正直、自分は誰よりも賢いと思っていたし、不可能な事なんて無いと思っていました。


実際は、出来ることと出来ないことの差が激しすぎて、出来ないことだらけなんですけどね。
りんごの皮むきも小学生よりヘッタクソですし(笑)

 


で、そんな考え方のまま社会人になり、思いっ切り打ちのめされました(笑)


まず、人との接触を避けていた為、コミュニケーションが全く取れない!
何しろ、自分の行動や言動で他人がどう思うかを初めて考えたのが20代後半の時だったくらいなので(笑)、人との距離感の取り方とか全く分かりませんでした。


なので、職場で怒られるのは仕事の内容ではなく、所作や生活態度についてでした。


しばらくは自分の殻に篭って周りとコミュニケーションを取らなかったんです。


が、ある時それじゃダメだ!と一念発起。
周りにこちらから話しかけるようにしていきました。


もちろん、はじめは上手くいきませんでした。
私の事を毛嫌いしている先輩もいましたし、風当たりはかなり強かったです。
でも、そこから試行錯誤を繰り返して体当たりをしてきたお陰で、今では職場内で自分の居場所を作り上げる事が出来ています。

 


その後もご存知の通り、もう無理だな、と諦めたくなるレベルの事が鬼のように降ってきましたが、その度に自分の考え方を見直すことで何とか乗り切ってきました。

 


そんな中で自分自身がかなり緩んできたからか、昨年は新しい素敵な出会いが沢山ありました。
そして、もう多分少々の事では負けない気がします(笑)

 


で、ここまで来て思うこと。
それは、
「自分がしんどい時は、何かが間違っている時」だということです。

 


「何で自分ばっかり」
「どーせ私なんて居ても居なくても一緒」
「私には何も出来ない」
そう思っている時は、自分を大切に出来ていない時だったり、頑張りすぎて疲れていたり。

 


目の前に見えている世界は、自分がそう思うからそう見えている。
だから、望まない状況が起こった時は何かに気付くチャンス!

 


自分が良かれと思ってやっていた事に疑問を覚えたカーナちゃん。
そこからのアイデンティティクライシスを経てからの、愛のうた。


自分の人生が全て載った歌。
そりゃー、最強に決まってます( ー`дー´)キリッ

 


私も、それが歌なのかなんなのかは分かりませんが、これまで経験してきた大きな闇と、実はその向こうに常に見えていた大きな光。
これを使って何か面白い事が出来たらいいな、と思っています。

 


これからも自分の考えに固執せず、自分の芯は保ちながらゆるーく周りと溶けあっていけたらいいな、と思います!

 


頑張って頑張って、
肩肘張って、
苦しい思いをして。


その先でようやく
ゆるーく周りと溶けあっていけたらいいな
と気づくことができた。

 


最初からここに到達することはできないし、
もし分かる人から


あなたはこうだよ


って言われたって納得できないと思う。
反発してしまうと思う。

 


けど、人生ってそんなものじゃないかな。


数年、十年、数十年経ってから
『ああ、そういうことか』
って気づくってのもまた豊かなことだよね。

 

 


そんなとき、私はいつも歌が一緒にいてくれた。


だからこれからも
色々あるんだろうけど、
また歌うんだと思う。


心が、魂が歌いたがっている
それにもう気づいてしまったから。

 

 


『春に』の最後にこうあります。

 


地平線のかなたへと歩き続けたい
そのくせじっとしていたい
この草の上でじっとしていたい
声にならない叫びとなってこみ上げる
この気持ちは何だろう

 


歩き続けたいし、
じっとしていたいし、


喜びたいし、
悲しみたいし、


やりたいし、
やりたくないし、

 


思い通りにならない。
だから面白い。

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