もうどうしていいか分かりません

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約8分

KYOMEI PROJECT(KP)合宿も3回目を終えて終盤戦に入りました。

先日の土曜日、合宿初日夜に生まれた響きはこだましていて、
お腹のあたりや胸のあたりが温かくなる感覚がまだ残っています。

あのとき、その場にいたメンバーは全員が一体感を感じていました。

歌っているのは立っていた一人だけでしたが、一人一人が無音で歌っていたし、
歌い手はその歌のエネルギーを受け取り、また歌として発する。

このエネルギー循環。

すべてが『だいじょうぶ』になっていく大いなる至福感とは、
この感覚が極まっていき、日常化した状態なのだと思ってます。

 

 

さて!

こういう体験をした直後に高頻度で起こることがあります。

それが『人生の転機』です。

 

自分に起こることもありますが、
他の人からのメッセージとして自分に届くこともあります。

 

今回はこんなメッセージが届きました。

 

こんばんは。しいなです。
いつもメルマガありがとうございます。

わたしは今、自分の進路や就活、生き方に悩んでいます。

アーティストになりたくて、
ほんとに今まで自分のできることは全てやってきて歌の練習をしてきました。

それで、育成塾のオーディションにも受かったのですが、
親の反対や経済面、また自分のせいもあるかもしれないのですが、
見送る形になってしまい、その夢がとざされてしまいました。

本当に今まで自分の生き方について考えてきました。
やってきたことは報われるのだろうか、
どうしてこんな人の何倍も費やしてきたのに
思うようにいかないのか、という思いがあります。

就活もあります。
こんなわたしが面接でうかるかもわからないし、したいこともあまりなく、
お金のために仕事するのかな、という感じです。

ずっと頑張ってきたことは、
曲の世界観やイメージを聞き手が思い浮かべられるような歌い方の研究をすること、

日常生活にも繋がる、人間としてのアーティストらしさを考えること、
人間の深みや生き方、物の見方みたいなものを考えてきたこと、

などというのがありますが
そんなこと他の人や面接官に伝わらないだろうな、
というのがあり、どうしていいか分かりません。

就活で合同企業説明会に行ったとき、
たとえば物流関係の会社、その他様々な会社をみて、
世の中はほんとにいろんな人が使命や役割を生かしているからこそ
わたしはこうして生活できるのだ、と実感しました。

だけどわたしには、何の仕事をするのか、
何をするための天命があるのか分かりません。

アーティスト活動をして、一つのことを深く極めたカリスマになり、
人の生き方を表現したり曲を作ることがしたい、という思いがものすごくあります。

でも最初にあったように、オーディションも見送る形になってしまって、
思うようにいきませんでした。

これはもうその道は向いてないからやめろというお告げなのか…と思ったのですが、
今まで積み上げてきたものはなんなのか、という思いがあります。

技術が足りていないのかもしれませんが、
吃音も相変わらずだし、もうどうしていいか分かりません。
こんなにやってるのになんで、という気持ちです。

ですので、誠に勝手なお願いですが、
わたしの歌を録音したのを何曲か聴いていただいて、
その声質や歌い方から、わたしの進む道のヒントだけでもなにか教えてはもらえないでしょうか。

エネルギーとかオーラを見たり、体にエネルギーを貼り付けてざわざわ感を消したり、
逆のことをしてざわざわ感を出したりできる人はコウタローさんしかまわりに思いつきませんでした。

わたしの尊敬するアーティストにはそのエネルギーの使い方がうまい人が多い気がしますが、
ふつうはそんなこと分かって極めてる人は少ないと思います。

わたしもアーティストになれなくても、そのように「気」をコントロールできる人になりたいです。
なんとか読み取れないでしょうか。
もうどうしていいか分かりません。

 

しいなさん。
まずはこう伝えたいです。

 

『だいじょうぶ』と。

 

いま確かに様々なことが上手くいっていない感じがあると思うし、

壁がどうしても乗り越えられないほど高く感じて立ちすくんでいるかもしれません。

自分の夢や希望を周りが理解してくれない、
応援して欲しいのにしてもらえないように感じ、

 

でもそれを跳ね返してでも

『やるんだ!』
『自分にはできるんだ!』
『一人になってもやり抜くんだ!』

と強く在りたいのにそうできない・・・
自分への怒りも在るかもしれません。

 

でも。

 

いまは分からないかもしれませんが、
それが、しいなさんの人生には必要だから体験しているのですよ。

 

いま、しいなさんが感じている

『絶望感』
『虚無感』
『疎外感』
『さみしさ』
『悔しさ』
『怒り』
『悲しみ』
『無力感』

その他、さまざまな感情。
それを引き起こしている出来事。

 

すべての経験がしいなさんの宝なのです。

 

もちろんいまは辛いかもしれません。

今回のメッセージを送るのにも
相当考えて、悩んで、推敲して、エネルギーをかけたと思います。

歌を送るのも勇気が要ったと思います。
歌っている最中も色々な想いが巡っていたと思います。

 

 

それは理解した上で言います。

 

 

 

 

人生舐めんな。
自分舐めんな。

 

 

 

そんなもんか?
ホントに全部やったのか?
やれること、すべてやったのか?

かっこ悪いところも全部出し切って、
泥臭くやれることやって、
情けないところも出し切って、

歯を食いしばって、髪を振り乱しながら、
どん底までたたき落とされても、また立ち上がって。

やったのか?
やれたのか?

 

積み上げてきたものが無駄だった・・・だって?

積み上げ、足りてるのか?
ホントに?

 

夢が閉ざされてしまった・・・だって?
他人に閉ざせる夢なんてあるのか?
夢を閉ざしてるのは、本当は誰?

 

 

胸を張って、

『私はやり切った!もう悔いは無い!』

自分に、魂に、
言えるだろうか?

 

 

 

 

日本のことわざに

『働かざる者、食うべからず』

という言葉がある。

 

この言葉は、

『食べるには働く必要がある』

って意味だと思っている人が多いけど、本当の意味はそうじゃない。

 

 

『天命』とは、一生懸命、誠心誠意、
本気で心を尽くして『傍(はた)』を『楽(らく)』にして
はじめて浮かび上がってくるものだよ。

 

そういう意味だ。

 

論語の一節にこんな言葉がある。

『吾、十五にして学に志す。
 三十にして立つ。
 四十にして惑わず。
 五十にして天命を知る。
 六十にして耳順う。
 七十にして心の欲する所に従えども、のりをこえず。』

 

論語は2500年前を生きた孔子の話していた言葉を聞いたお弟子さんたちが編纂した本。

2500年も前、時は戦乱の世。

そんな中で迎えた五十歳で知る『天命』とは?

 

 

アーティスト活動をして、一つのことを深く極めたカリスマになり、
人の生き方を表現したり曲を作ることがしたい、という思いがものすごくあります。

 

もし、本当にそう願うなら立ち尽くしている場合じゃない。

人の意見を聞いてる場合じゃない。

人から応援されるのを待っている場合じゃない。

 

 

志を胸に、一人でもやるんだ。
動き出すんだ。

未熟なまま、やろう!

 

やってみて、やってみて、
その先で絶望したとしたら、それはラッキーだ。

 

絶望するほど、立ち上がれなくなるほど、
その想いが本物だったことが分かるから。

 

 

でも、

 

どんなに苦しくても、悩んでも、辛くても、

何年もかかるかもしれない、何十年もかかるかもしれない、

でも、

どんなに時間がかかっても、

 

本気で生きていたら人は『自分』に還ってくる。

 

『もうイヤだ』
『コリゴリだ』
『もうダメだ・・・』
『歌なんてもう歌いたくもない』

そう思っているのに、思っていたはずなのに、絶望していたはずなのに・・・

気がついたら口ずさんでいた。
歌が溢れていた・・・。

 

そのときにやっと気づける。

 

『歌がずっと傍にいてくれたこと』

『こんなにも私にとって大事だったこと』

『やっぱり歌いたい』

 

 

 

 

だから

 

『だいじょうぶ』

 

勇気をもって一歩踏み出そう。

 

 

 

 

 

 

そんな時代もあったねと
いつか話せる日が来るわ
あんな時代もあったねと
きっと笑って話せるわ
だから今日はくよくよしないで
今日の風に吹かれましょう

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