三女の授業参観の『道徳』が罪悪感を育てていた件

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約4分

今日、小学四年生の三女の
参観日に行ってきたのですが、
内容が『道徳』だったんですね。

テーマは『ルールはなぜあるの?』
って感じの内容だったんですが、
いやーーーー、、、、

これ『罪悪感』の刺激がハンパねーですね。

みちこちゃんって子が出てきて
ピアノ教室に行くって話だったんですが、
まぁ〜〜〜〜〜
『ザ・道徳』って感じ。

ざっくりあらすじはこうです。


(あらすじ!)

みっちゃん帰宅!
 ↓
ピアノ教室遅刻しそう!
自転車で行くわ!
 ↓
駅前超混んでる!
 ↓
いいや!街路樹に路駐しちゃえ!
他にもたくさん停まってるしいいでしょ!
 ↓
電車で『路駐マジ最悪』って話てるのを聞く
 ↓
みっちゃん超不安になる
 ↓
ピアノ教室で全然集中できない
 ↓
先生から『なんで弾けないの?』
『発表会に間に合いませんよ!』
と怒られる
 ↓
おわり


 

おわり?!
マジで?!
そこで終わり?!( ゚д゚)

みっちゃんへの救いとかフォローとか…
ほら…
こう…

って思ったのですが、
そっからいかにも『道徳』
感じの内容が展開されまして、
『OH…』って思いながら聞いてました(笑)

で、

私がこわいなーって思ったのは
『罪悪感を植え付けてんなー』
っていうことです。

『路駐とかマジでありえん!!
 ルール守れ!!』

って論調ならむしろ分かるのですが

『ルール守らないのは仕方ないこと?良くないこと?』
みたいな感じの問いかけなわけです(まぁ道徳なので)。

そしたら

『そりゃ良くはねぇよなぁ〜〜〜〜』
って意見に偏るわけです(子供も空気読むからさ)。

これが回り回って
『罪悪感の醸成』
めちゃめちゃ影響してんなーって感じました。

つか、ほとんどの人が認識してるか
してないかは別として、

こういう『罪悪感』抱えてんじゃね??


で、もちろん

罪悪感って発声とモロ関係してる
わけ。

『声を発することへの罪悪感』
『自分を表現することへの罪悪感』

ってのを抱えたままいると
めちゃめちゃ声出すのシンドいんですよ。

本来の能力が上手く発揮できないし、
本当なら出来るはずの技術も
出来ないことになっているし(本人の中では)
レッスンなどで声が出るようになっても
その後戻っちゃったりするんです。

『上手くなることへの罪悪感』
『歌うことへの罪悪感』
『生きていることへの罪悪感』

こんなん抱えてたら
そりゃ辛いわーーーっていう感じです。


逆に言えば、

『罪悪感』が軽くなったり、
うまく折り合いがついたりすると
人が変わったように声も出るようになるし、
声だけ歌だけじゃなくて、
まるっきり放つオーラが変わる。

歌うとは自分の命を輝かせること。

自分の命を輝かせることに
無条件の許可が出せたら
マジで人生は一変しちゃう。

そういう変化が目の前で起きて
その歌を聞いてみてご覧なさい。

ご、後光が差してる!!

とか思いますよ。
マジでビビるわ!!

みたいな話を思ったってことを
動画に撮ってみましたー。

ほーんと、自分のことをよく知って、
ホントはどう感じているのか?
どうしたいのか?

そこに目覚めたときの
声の輝きってのはすんばらしいもの!!

 

それ出してこーぜ!!

 

 

 

それでは、ありがとうございましたー!

 

 

 

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