こんばんは、コウタローです。
なぜか最近似たようなテーマが
どわーーーっと寄せられているんです。
それは、、、
『自己肯定感』
『自信』
に関することです。
世の中の流れとか情勢とか
まぁ色々あるかもしれませんが、
そんなことよりも
『私はどう生きたいのか』
『私は人生において何を体験したいのか?』
『私は誰とともに人生を過ごしたいのか?』
『死ぬときに笑って”いい人生だった”と言えるとしたら?』
このあたりのことを真剣に考えることは
すごく大事なことだと思っています。
ちょうどこんなメッセージが届いています。
キープラスワンの宿題に対する答えですね。
ごうさんからです。
ありがとうございます。
コウタローさん、こんばんは。
質問の答えですが歌で感動を生み出す為の
必要なレベルをクリアしてると感じたか?
ですが到底クリアしてるとは感じられません。
そして、それを実現する為には
何をしたら良いのか?ですが
今回の講座でメンタルが凄く大事だ
と言う事を感じました。
私は親から罵倒されて育てられて来たので
物凄いネガティブで何をするのも
自信がない常にビクビクして生きてきました。
こんな状態で人を感動させる事なんか
出来る訳ないなと思いました。なのでまずはメンタルを強くして
自己肯定感を高める事が大切だ
と思ったのですが
具体的にどうしたら良いか検討もつきません。
少しずつ何か自信の着くことを積み重ねて行って
自分の中に信じられる物を作るしかないと思いました。
『自己肯定感&自信』
はマジで超重要ファクターです。
自己肯定感とは
何かができるとか何かを持っているとか
そんなことは関係なく、
単に自分だからOKなのだ、という感覚のことです。
こいつらが低いまんまだと
いくら知識が増えても、
いくら技術が上がっても、
いくら社会的に認められても、
いくらお金を稼いだとしても、、、
そんなものをいくら積み上げたとしても
自己肯定感も自信にも
生きる幸せにも全然関係ないです。
むしろタダのハリボテ…
ならまだいいですが、
邪魔までしてくることもあるのですが、
ついついハマりがちな罠だなぁと思います。
で、ごうさんが答えてくれた質問は
『感動』に関することでしたが、
私は『感動』は人生において(歌において)
もっとも重要な要素の一つだと思っています。
ただし『感動』とは
ちょこっと面白いことがあって
『すごーい』
『感動したーーーー』
といって5分後には忘れたり、
1週間くらいで消え去るようなレベルではないです。
心の奥底に響き渡り、
魂をブルブルと震わせ、
鳥肌がブツブツと粟立ち、
言葉にならないエネルギーが
腹の底からグツグツと湧いてきて
いても立ってもいられなくなるような…
その後の生き方すら
変わってしまうような体験のことを
私は『感動』と言っています。
そして、感動とは
良いものばかりではありません。
『感情が動く』から感動なのであって、
『もう嫌だ!!
『まっぴらごめんだ!』
『絶対に絶対に絶対にやめてやる!』
という叫びもまた感動です。
ごうさんは
『メンタルを強くして自己肯定感を高める』
ことが大切だと思った
と書いてくれました。
そう、たしかに自己肯定感を高めたいし、
メンタルを強くしたいと思う人も
多いかもしれません。
しかし、私自身も右往左往してきたことであり、
多くの人と一緒に過ごしてきて感じるのは
・メンタルは強くするものではない
・自己肯定感は高めるものではない
ということです。
『メンタルを強くする方法』
で検索をかければ
グーグル先生やユーチューブ先生が
山ほど情報をくれるでしょう。
『自己肯定感を高める方法』も同じく。
けど、そういうので得られる情報で
上手くいった試しをあまり聞きません。
なんでかというと、
『自分の感覚』
『自分の感情』
を置き去りにしている場合が多いからです。
落ち込んだとき、怒りが湧いた時に
『上を向いて歩こう』
『楽しいことをして忘れよう』
『フーと深呼吸して切り替えよう』
『これも学びだと納得させよう』
『全てに感謝』
そんなんで上手く行きますか?
私は無理でした。
一瞬は効果あるかもしれませんが、
結局すぐに元通りになるし、
また嫌なことがあれば、
同じことの繰り返しです。
私はかつてこれにはハマりました…。
けど、いまは結構抜け出せています。
それは、なぜだろう・・・??
それが『自分の感覚を感じる』ってことでした。
悲しいときには悲しみ、
怖いときには怖いと感じ、
腹が立つときには腹を立てる。
嬉しいときには嬉しがり、
楽しいときには楽しみ、
感謝が湧いてきたらありがとう。
感覚感情が私の中でつねに
湧き上がっていること。
その存在を認め、感じること。
強くあろうとするのではなく、
弱いままの自分を認め、
弱いままの自分で、
それでも生きていく。
これに取り組みだしてから人生は激変しました。
置き去りにしていた自分の感覚感情と出会えたとき、
爆発的な感動が腹の底から
湧いてきたことをいまも覚えています。
ごうさんは、
『こんな状態で人を感動させる事なんか出来る訳ない』
とも書いていました。
確かにいまそう思っているのでしょう。
でも、それは本当でしょうか?
感動とはさせるものではないのです。
感動は伝播するものなのです。
『自分が感動している』
これが重要であり、
ある意味これで終わりです。
自分の感動の波動が
誰かの心に響いたら
共鳴が起こります。
もしかしたら、
自分は感動していても
相手は白けてるかもしれません。
いいんです、それで。
でも、感動を生み出すのであれば、
私自身が感動していることは必須だと思っています。
自分は感動していないけど、
聞いてる人は感動している。
もちろんそういう状況はありえますが、
私はそんな人生送りたくないので、
断固拒否します。
あくまで私自身が感じていることを
深く、リアルに鮮明に
私自身を私自身が感じたいです。
その先で感動を誰かと共鳴しあえたら
そりゃ最高至福の瞬間ですが、
本気でやったボーナスみたいなもので、
『自分が自分に感動する』
が前提です。
そして、
『感動の種』は誰もが必ず持っているってことを
私はいままで関わってきたみなさんから
教えてもらいました。
だから思い出してみてほしい。
小さい頃に夢中になっていたこと。
いつもいつも何故かやってしまうこと。
嬉しくてしょうがなかったこと。
寝る間も惜しんで没頭したこと。
本当はやりたくてやりたくてしょうがなかったこと。
そんな『熱』が自分の中にあるってこと。
長いこと忘れていたけれど、
『そうだ、そうだった・・・!!』
『これをやりたいんだった!!』
そんなことを思い出して
輝くような歌を生み出す瞬間に
たくさん出会ってきました。
そのときのその人のエネルギーの鮮烈さは
まさに言葉にならない感動そのもの。
そんな瞬間が生まれる場を作りたい。
そう思って私は活動しているんだ、と
改めて原点に帰ったような気分です。
ごうさん、メッセージありがとうございました。
それでは、ありがとうございました!
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