メルマガ読者さんからのメッセージ。
もともと美声で目立つ声なのに、
そのせいで叩かれることで
自分の声を見失ってしまった。
そして、そこからまた自分に戻ってくる。
そんなストーリー。
コウタロー様
初めて返信いたします。岡田と申します。
メルマガの中で発声の悩みや解決したいことについてシェアして、
とあったので、御礼というか単なる独白なんですが、
この機会に書いておこうと思いました。長文になると思いますし、冗長ですがご容赦下さい。
私は現在43才の男性で41才の時に、仕事関係の人に誘われて
合唱団に所属したことから歌の世界に入りました。
パートはバリトンです。歌う事はそもそも好きで、でも実はハモることが昔から大好きでした。
そもそも小学生のころ、学校対抗の合唱大会で初めて4部合唱を経験し、
混声合唱の楽しさを実感したのですが、
その後先生や環境などにも全く恵まれず40を超えて
やっとその縁を頂いた次第です。バロックの合唱団と別の縁でオペラの合唱団にも参加し、
なぜか縁が極まってイタリアのオペラ座にジャンニスキッキの靴屋役で
ちょいソリで立つようなことも経験致しました。
ただ、今となってはあまりにも早すぎた経験で、そのプレッシャーの凄まじさに
楽しく歌うことのモチベーションが下がったように今は思えます。それと、もともと声を出すことにかなり強いコンプレックスがあり、
地声が大きいために小さいころに人から「声が大きい」と言われてから、
どうしても人に聞こえる自分の声を意識してしまい
あまり大きな声でしゃべれないということをいつも気にしておりました。誘われて合唱団に入った直後も、最初はいい声、と言われていましたが
あまりにボリュームが違いすぎる+音程・響き下手があいまって、
もうすこし抑えて、といわれてしまうようになったころ、
合唱団のボイトレでカウンタテナーのプロの方にレッスンを受けた際、
声の全てを肯定していただいて、今があるように思います。思えば、その方もそのままの声で素直に発声すればいい、
とずっと言ってくれていた気がします。他に縁があったプロの方も、まずは自分の地声から素直に発声を、
と言ってくれていたように今は思えます。ただ、「あごの力を抜いて」とか「上に響かせて」とか良くある指導と
同じように思えてしまい自分の耳には入らなかったことも多く、
イメージしている発声に近づく道筋すら見えない状況にいつも悩んでいました。発声練習やブレスの姿勢なども、形だけで「なぜそうするのか」という事を
教わることなどありませんでした。リラックスが大事なのはわかるんですが。練習ではいつも録音をし、それを聞いては改善しようとし、
いろいろと右往左往しながら、なんとなく高い声などが安定して
地声も以前より目立たずに出せるかな、と思うようになったとき、
最初に声を認めてもらったプロから合唱指導をしてもらったときに
「つまらない声になってる」ときっぱり言われました。コウタローさんも動画で言っていましたが、響きだけでは遠くに届かない
埋もれてしまう声になってしまっていると。その後にコウタローさんの動画に出会い、大きなヒントを頂いたと思っています。
所詮は自分なりでしょうが、ため息+地声→しゃべり→抑揚→メロディに
持っていくことで力まず音を作っていく手法は自分にとって大変な革命でした。ただの吐息だけで声を生む、これを「意識して」できたことと、
力みの無い声の種が持つ大きな可能性を感じたとき、感動しました。だらだらと書きましたが、本当に有難うございました。
まだ確固たるもの、とまでは到底至りませんが、そこに至る道筋の方向を
示していただけたことは確信を持っていますし、これからも実践していきます。現在悩んでいること・解決したいことを三つあげると
1.プロの発声(?)に近づける
高く鋭い音と低く柔らかい音、中間の音が交差しながら響いているような声。2.割れた地声を響かせる
不摂生から生まれた声。耳障りなエッジを響きに変えたい3.E4以上の声を出す
アペルトではなく。突き抜けた力強い声を出してみたい。などになります。
ただ、これは前から思っていることで、それよりも今は「全く力み無く声を出す」
をまずは意識付けて続けようと思っています。少なくとも、それができないのに
できるはずもないわけですから。あと、ヒビキアワセなどのイベントにも参加してみたいです。
首都圏外郭放水路の映像を見ました。凄まじいですね。
開放された声を出せることなど、なかなか自分ではできる機会がないので
一度でもいいから参加してみたいと本当に思いました。是非ご縁がありましたら宜しくお願い致します。
だらだらと長文で大変失礼致しました。
いつもメール、映像や声、指導や方法論など楽しみにしております。コウタロー様の今後の更なるご活躍をお祈りいたします。
つまらない声になってる・・・!!
この先生素敵だな〜〜〜。
『声の全てを肯定』
って嬉しすぎる。
技術を学ぶのはもちろん素晴らしいことです。
しかし、その土台に
『自分の声への圧倒的信頼感』
があるかどうかで
まったく違う世界になります。
声とは自分です。
自分の声に対して思っていることは、
内心自分に対して思っていることと同じ。
『自分の声はダメだ』
『自分の声のここが気に入らない』
『自分の声が嫌い』
『自分の声はここができてない』
ここから『の声』を抜いたのと同じ。
自分で自分に呪いをかけてしまってる。
これ、認めるの最初辛いけどね。
誰も自分に呪いをかけることはできない。
ただ、誰かからもらったものを『呪い』として
自分にかけることができるだけだ。
過去に何かがあって、
それがきっかけで自分の声のコト
信じられなくなっていったのは事実かもしれない。
でも、それは過去。
大切なのは今。
生まれてから死ぬまで共にある自分の声。
その自分の声とどう付き合うかを
決めるのは自分にしかできない。
つまり、自分で最高と決めることができる。
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