今日はとてもいいメッセージが届いたので
ご紹介していきますね。
キープラスワン3日目の
質問へ回答してくださった
Kさんのメッセージです。
質問内容は
人生の中で、
『思い込み』を手放したことで、
自分の中の知識が智恵に変わり、
結果的に大きな価値を受け取れた、
そんな経験をシェアしてください
というものです。
コウタローさん、こんにちは!
質問3の答えです。
質問の主旨に完全に一致はしないかもしれませんが、あります
「父親に愛されていない。
そして父親のことを好きになれない。」
という思い込みを手放した、というか、
その思いを自分が持っていることに疲れ果てて、
愛されてなくても、もういいや!と
ある日その思いを手放しました。
すると、ある日突然、街を歩いている時に、
父に対する愛と感謝が、洪水のように降ってきて、
涙が溢れました。
全く意図していないことだったので驚きましたが、
その瞬間から、私はものすごく心が軽くなり、
生きることも楽になりました。
そればかりか、父が亡くなる前には、
本当に私は父に愛されていたということに
気がつくことも出来ました。
これは、私にとってかけがえのない経験です。
私は『その想いを手放した』
というところに
大きな『覚悟の一歩』を
踏み出した瞬間だったんだな
と感じました。
『もういいや!』
というのは投げやりになった
わけでは決してありません。
私はこの瞬間はきっと
『自分の人生は自分が決める』
『自分の道を歩む』
『私のことは私が愛するのだ』
という決意の瞬間だったのでは
ないかと感じました。
重要なことは
『父から愛されないのなら
私が私を愛そう』
『父のことが好きになれないなら
関係を断とう』
ではないということです。
『私を信じる』
『私が私を愛する』
『私の幸せは私が決める』
そう決めたのと同じように
『父のことを私は信じる』
『父が父を愛することを私は信じる』
『父の幸せは父が決めると私は信じる』
そう決めて
『自分を生きることに集中する』と
決めた瞬間だったのではないかと思います。
もしかしたら手放す前は
『父から愛されない自分には価値が無い』
『父のことを好きになれない自分には価値が無い』
『父はなんて薄情な人なんだろう』
『私はなんて薄情な人なんだろう』
そんなふうに思い込んでいた部分が
あったかもしれません。
そのことに『ある日』気づいて手放した。
短く書いてくれていますが、
これがどれほどの
転換日だったんだろうと思います。
これまで生きてきて
『大事に抱えていた価値観』
を手放すのはとても、とても
とても怖いものなのです。
その思いが大事であればあるほど
疲れ果てるほど悩み苦しんできた
ことであればあるほど…
恐怖は大きくなります。
手放してしまったら
自分が自分でなくなってしまう…
そんなふうにも思えてしまうからです。
たとえそれが
『乗り越えた先の自分だったら
手放したら幸せになるよ』
ということを知っているような
ことであってもです。
だからこそ、
自分が常識だと思いこんで
生きる指標にしてきたことを手放すことは
本当に大きなエネルギーを生み出します。
私の場合は『声』で
これをやったことがあります。
声に悩み苦しんだ。
才能が無いのだと絶望した。
上手くなれない自分を責めた。
アーティストを羨んだ。
歌に没頭できない自分は
歌のことなんて本当は
そんなに好きじゃないのかもしれない。
そんなふうに思ったこともありました。
そんなある時、
『上手くなる』ことを捨てました。
『発声技術』を捨てました。
歌うこともやめ、
自分の声と徹底的に向き合い、
『ただ単に声を出すだけ』
を1年半続けたことがあります。
上手くなるために費やした
膨大なエネルギーのことを思うと
本当に恐ろしかったです。
高校までは死んだように生きていて
大学で合唱と出会って
歌う喜び、歌に没頭できる喜びを知りましたが、
社会人になって歌うことが不自由になりました。
これまでの人生で
心の底から楽しめて
時間を忘れて没頭できて
こんなにも心の底から感動できたことなんて
歌のことしかなかったんです。
それ以外には何も無い自分だと思っていました。
なのに、
それでは生きられないと
私は心から信じていました。
私に才能なんか無い。
私が歌で生きるなんて無理。
私が声のプロになるなんておこがましい。
そんな未来は無い。
そう思いながらくすぶりながら
でも練習だけは続けていたけれど
結果は出ないし、
多少上手くなっても上には上がいる。
何なら練習なんてしたことがないという
自分よりずっと若い人が
自分よりも遥かに上手く、自由に
楽しそうに歌っている。
人生詰んでる。
皮膚から暗黒が
ただよっていたと思います(笑)
そんな想いを抱えながら
10数年経ってから
技術を捨てました。
『上手くなりたい』という
思いを手放しました。
その恐怖たるや。
そして改めて『声そのもの』と向き合い
ついに出会ったのは
『私の声』
でした。
なんのことはない。
ずっといつも生まれたときから
私は私の声と一緒にいたのでした。
技術があるから価値があるのではない。
技術が無いから価値がないのではない。
『私の声に価値が無い』と決めていたのは
他ならぬ私だったのです。
Kさんは、思いを手放した後の
『ある日』突然に
父に対する愛と感謝が、
洪水のように降ってきて、
涙が溢れました。
と書いてくださってました。
私もまた自分の声に
同じような感覚を得た瞬間がありました。
『私の声が光り輝いていた』
『私の声は世界に響いていた』
『私の声は私をいつも照らしてくれていた』
『私は声から愛されていた』
『上手いとか下手とかではなく
私は私の声で生きていけばよい』
そんなことを感じた瞬間がありました。
これは私にとっての
かけがえのない瞬間のひとつです。
あなたはいかがですか?
『思い込み』を手放したことで、
自分の中の知識が智恵に変わり、
結果的に大きな価値を受け取れた
そんな経験は、ありますか?
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