おととい終わった合宿がすでに
遙か彼方です。
明らかに時空がズレた感覚。
すごい密度の時間だった・・・。
時間の密度と言えば・・・
私は大学生時代日記を毎日つけてたんですよね。
でも、会社員になってからは書くことがドンドン減り、
いつしか義務的になっていって、
そのうち面倒くさくなって辞めてしまった。
あんなに書くことがあったのに
毎日毎日会社と家を行き来するだけだったしね。
けど、どうだよ?
書くことありすぎて
書き切れねぇ!!
あれもこれも書いたり話したり
伝えたりしたい。
そんなことがいっぱいあって
止まらないんだよなぁ。
思えば当時、
就職したあと、
なんて不自由な世界なんだって感じてた。
自分の居場所はここじゃない、
なんてずっと漠然と感じていた。
高校まで死んだまま生きていた私が、
大学時代の合唱で生きることを知り、
また卒業と共に死んだ。
『夢』という言葉が怖かったのもこの頃。
『自分には無理だ』
『あの人はイイよな』
『自分には情熱なんてなくなってしまった』
『学生時代のような輝きはもう一生訪れない』
でも。
諦めきれるか!!
そんなんじゃねぇだろ?!
もがいた。
でも、あまりにも無力だった。
自分が何を感じているのか分からない。
どうすればいいのか分からない。
だから
勉強した
ビジネス書年間300冊以上読んだ
セミナー行った
数十万する教材買った
行動はしてた。
自分の感覚は置き去りに。
どこかに『正解がある』と思っていた。
そんなもんねぇのにな。
だいぶ迷惑掛けたよなぁー。
その頃、
ゆいいつすがっていたのが『歌』
自分が熱中して、
魂を込めて
真剣に
本気で取り組んだことは
歌『しか』なかった。
だから練習した。
めちゃめちゃ練習した。
下手くそだと思っていたし、
自分より上手い人は死ぬほど一杯いることも知ってたし。
上手くならない自分はクソ
とか思いこんでたし。
『自分はダメ』
『他人は優れている』
ずっとそう感じていた。
だから
もっと練習しなきゃいけなかった。
もっと努力しなきゃいけなかった。
頑張って他の誰かのように
ならなきゃいけなかった。
けど、あるとき、
そういうの全部捨ててみた。
勉強したこととか
これまで身につけてきたこととか
『正しい声』捨てた。
単に自分の声と向き合ってみた。
声を出し、
声を聞く。
声を出し、
声を観る。
良いも悪いもなく、
ただ、
声を感じる・・・。
1年半くらい続けていて分かったこと。
声には自分の全てが現れていた。
声は自分そのものだった。
自分の声はここにあった。
自分はここにいた。
なんだよ、最初っから
ここにいたんじゃねーかよ!!
先日こんなメッセージもらいました。
新しい声、今までと違ういい声を 獲得しないといけないと思い込んでいました。
求めていた『青い鳥』は 童話のとおり 一番身近な 自分の素の声だったんですね。
コウタローさまに教えていただいたおかげで 胸からストンと 重たい憑き物が取れたような
解放感を味わっております。。
ありがとうございます。
そうなんだよね。
あれほど求めていた『声』は
他のどこかにあるんじゃなかった。
もうひとつのメッセージ。
メルマガ登録させていただきました。
内容に共感しすぎて泣けました。私はライブもしている身でありながら、もう何年も思うように歌えていません。先生によって教え方が違い、その度混乱してきた人生でした。話す声も無理してる様に聞こえるそうですが、チカラを抜く事が出きません。それはもう無限ループで喉を締め付ける様な癖が治りません。
それでもどんなでも歌えれば問題ないのですが、声が出るかどうかがまず心配になって、出だしの低音から震える様な状況になってしまいました。逆に高音の方が歌いやすいくらいです。
自分の感覚を誰かに話しても考えすぎ、とわかってもらえません。
他人に自分の人生の責任は取れない。
自分の人生は自分が決める。
『自分の声で生きる』
そう決めたら、
声の悩みはなくなる。
だって、アンタの声、最高だから。
しょーがないよね。
どうせ素晴らしいのだから。
・・・信じられない?
そんなんアタリマエじゃん。
いままでずっと自信なかったんだから。
イキナリ
『そうだよね!自分は最高!だから大丈夫!』
んなわけねーだろ。
本気で思ってんの?
そうじゃない。
自信ないままでいいのよ。
悩みながらでいい。
苦しみながらでいい。
落ち込みながらでいい。
そういう湧いてきた感情・感覚をぜんぶ感じきる。
他人の声じゃなくて、
自分の声を聞く。
『声』は心の声も含んで。
答えは自分にしか出せないし、
その答えもすでに自分の中にある。
すべてを自分からはじめる。
自分の人生を生きる。
苦しくて楽しいよ。
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