【自己紹介③】人生を決定づけた出会い

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約7分

コウタローです。

前回までの話をざっとまとめると

生まれつき身体が弱く病気ばかりで
内向的な性格に育った小学校時代

引っ越しした先で馴染めず、
プチいじめも受けて感情マヒ状態になるが、
クラシック音楽と出会って何とか
精神を保っていた中学生時代

こんな流れでした。

今日は高校時代についてお話しします。

私は地元の進学校に入学しました。
理数科というクラスで、
それなりに勉強ができる人が集まるところでした。

クラスメイトには東大、東工大、
慶應、早稲田・・・
そんなところにサクッと
入れてしまった人が何人もいました。

私もとりあえずそんなクラスへ
進学が決まったのですが、
入学前の春休みに早くも挫折しました。

入学前に顔合わせみたいのがあり、
そこで手渡された一冊の教科書・・・。

「これ、やっておいて」

数学の教科書でした。
表紙がオレンジ色で
『オリジナル』と書いてありました。

▼調べたらありました。コイツです!!

これを入学までに解いてこい、と
そういうワケです。
意味が分かりません。

で、その教科書がさらに
意味不明でした。

「問題と解答しかない・・・??」

過程がないんです。
答えを見てもまっっっっったく
分かりません。

中学時代に培った
コミュ障体質のために
誰かに相談するとかもできません。
思考停止です。

チーン・・・

入学前から数学は試合終了です。
結局、数学は最悪の成績を
取りまくっていましたね〜。

高校3年生の春に
東北大オープン模試というのを
受けたのですが、
その時の点数が30点でした。

300点満点ですよ?
偏差値30という(笑)
理数科なのに。

そんなわけで、勉強は苦手も
甚だしいという感じでした。

結局、いろいろと奇跡が起こって
私は東北大学へ入学できたのですが、
それには秘密があります。

ぜんっぜんダメそうな状況からでも
何とかなるんだな〜って経験から得られた
教訓は大きく、いまでも役に立っています。
また別の機会にご紹介いたしますね。

で、この理数科は
『難関大合格!!!』
というコンセプトで
全てが動いていました。

勉強勉強勉強!!!!!

という感じで、
0校時という謎の早朝学習や
8校時という意味不明の
時間外クラスがフツーにありました。

いまの自分だったら
ぜったいそんなところに通いません。

ですが、当時は感情麻痺でしたので、
ボウフラのように流されて
「そんなもんか」と思っていました。

不健全!!(笑)

それで、私は相変わらず
誰とも喋ることなく
友達も一人もいないまま
過ごしていました。

しかし、1年生の
1学期末に人生を変える
出来事が起こったんです。

合唱部に誘われたんです。

というのは、音楽のテストが
『ソロで一曲歌う』というもので
別室で先生の前で歌うものだったんです。

私が歌ったのは
ビートルズの『Yesterday』でした。

授業ではじめて聴いて
「いい曲だな〜〜〜」
って思っていました。

で、歌い終わったら
先生がこう言いました。

「合唱部入らない?」

勉強もそんなに
身が入ってるわけでもない。

今までだって学校と家を
往復するしかやってない。
(放課後は即帰宅してました)

別に断る理由もなかった。

そんな感じで始めたのが
合唱だったんです。

入ってみたはいいものの
この合唱部6人しかいません。

同学年の女性4人と
ひとつ上の男の先輩と
あと私です。

おお、少ないながらも
男女比は絶妙!

しかも指導の先生はかつて
合唱コンクールの全国大会で
金賞に導いたこともある経歴を
持っていました。

・・・これで華やかな
学生生活が始まっ・・・るわけが
ありませんね。

ぼっち続行です(笑)

極限まで人と喋るのが苦手すぎて
「○○さん」て呼びかけることすら
できませんでした。
ほとんどお話しもした記憶がありません。

そんな感じでしたが、
別につまはじきにされる
ワケでもありませんでした。

部員がたくさんいたら
空気のような存在だったと思いますが、
テノールパートは私しかいなかったので
必然的に居場所ができていきました。

けっこう真面目に練習は
していましたので。。。

自分の声がダイレクトに
ハーモニーを作っていく。

その体験がとても
新鮮だったことを覚えています。

1年生の冬に出場した
東京のアンサンブルコンテストという
大会では奨励賞をもらったりしました。

この頃の私の声は
線が細くてフワ〜ッとした感じで
よく言えば透明感がある。

悪く言えば
「腹に力入れろ!気合い入れろ!」
という感じの声でした。

声はその人の「現在(いま)」を表し、
人生そのものが反映されています。

その時の私が実体感の薄い
地に足がついていない声だったのは
当然のことだったと思います。

そんなこんなで私は卒業まで
合唱部員として過ごしました。

特段何か特別なことが起こるでもなく
相変わらずクラスは勉強の嵐。
成績は低空飛行。

当時の写真を見ると
見事に表情筋が死んでます(笑)

そんな中でチョッピリ楽しいな、
自分の居場所が少しだけあるな・・・。

今の私にとって
魂の根源となっている『合唱』も、
高校生の私にとっては
この程度の位置づけでした。

感情を封印して
半分死んだように生きていた私が、

まさか『合唱』を通じて
多くの仲間と魂が共鳴するような
感動を創り出すことになるとは・・・。

って、当時の私が知ったら
ぜったい信じないでしょうね〜。
いや、むしろ( ´_ゝ`)フーン
って流されるかも(笑)

高校時代をさくっとまとめると

入学前から勉強に挫折
相変わらずコミュ障ぼっち
先生に誘われて合唱を始めた

このくらいですね。

こんなふうにまとめて書いていると
たくさんの経験があるように見えますが
とんでもないです。

ほとんど記憶がないのを
必死で掘り返してこの程度です。

当時私が何を考えて、
どのように生きていたのか?

何を好み、何を嫌い、
何に怒り、何に喜ぶのか?

・・・ぜんぜん覚えていないんですね。。。

自分の心を押し込めて
抑えて麻痺させて
何も考えられなくなっている・・・。

「夢は?」と質問されると
思考停止する。
心臓がドキドキする。

自分にも他人にも無関心で
できるだけ触れないようにする。
怖いから・・・。

いま振り返ると
私はこんな自分だったと思います。

でもどこかで
感じていたのでしょうね。

本当は自分の感情を解放したい。
イキイキと自由に思いっきり楽しみたい。
生涯の仲間と出会って
本気の人生を生きたい!

私はいまそんな人生の入り口に
立つことができています。

人生には何一つ無駄なことはない。

月並みですが、
この言葉の意味を実感できたのも
つい最近のことなのですね。

自分がなぜ生きているのか?
そんなことにも無関心で
無感動だった自分がいま

声を通じて自分と向き合い、
本当の自分を取り戻していく
活動をしている不思議。

本当に悩み苦しんだこと。

それは眠っていた才能が開花する
大切な鍵となる。

そう確信しています。

さて、次回は
地元を離れ遠く仙台の地で
大学デビューした話をします(笑)

合唱を通じて
「あれ?感情って出していいんだ?」
って気づいた話です。

今回はこのへんで!

 

 

▼続きはコチラ

【自己紹介④】個性と才能を共鳴させる生き方
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