
(本記事は2017年7月12日投稿記事の再編です)
今日は私が『自分の声』を取りもどす
キッカケになった体験についてお話します。
私には声の師匠がいるのですが、
その人のセミナーにはじめて行ったのは
2012年の2月でした。
妻が出席した他のセミナーで
ゲスト講師として出演していたのですが、
かなりの衝撃だったようで、
「なんかスゴい人がいたよ!!」
という感じでした。
私はその頃、
発声に行きづまっていて
練習にも身が入らないし、
新しく整体師として独立したこともあり、
歌うどころでは無いと思っていました。
ただ、妻がこれだけ言うのは
何かあるのかも?
と思って、
セミナーに参加することにしたのです。
行ってみると、
参加者は女性ばかりで、
それに歌や声のトレーニングもしたことがない
いわゆる素人さんでした。
正直『?』という感じでしたし、
師匠の声もなんかスゴいという感じはしたものの
『なんかキツいし音程も良くない・・・』
と感じました。
そう。
体験したことがない練習法と音色だったので
収穫はあったものの
いまいちピンとこなかったんです。
私はセミナーはそれ一回行ったきり、
続けることはありませんでした。
そのまま半年が過ぎます。
・・・
・・・
・・・
何がキッカケだったか
忘れてしまったのですが、
なぜかまたお師匠さんのコトが気になり、
もう一度行ってみたい!
と思うようになったのです。
その時参加したセミナーでのことは
よく覚えています。
ぜんっぜん意味が分からないんです。
私の他の参加者は前回と同じように
歌などは練習したこともないって人たちばかり。
一人一人の声をチェックする時間もあったのですが、
ぜんぜん良い声に感じないんです。
硬いし、
音程は悪いし、
汚いし、
粗野だし・・・
到底美しく歌うような
声には感じられませんでした。
正直私は
『自分の方がはるかに良い声だな・・・』
と思っていました。
しかし、いざ自分の声に対して
師匠はこういうんです。
『声を作りすぎてる』
『何もしないで!』
『そのままで!』
意味がわかりません。
ぜんぜんOKが出ません。
かと思えば、
私にとってはダメダメに感じる他の人の声には
一発OK『素晴らしい!』となるんです。
意味が分からないを通り越して
怒りさえ覚えました。
『なんでその人の悪い声はOKで
自分の声がダメなの?!
15年も声楽をやっているし、
俺の方がゼッタイ歌は上手いよ?』
今考えるとお恥ずかしい限りですが、
本気でそう思いました。
でも、なんとなく引っかかったんですよね。
そもそも私自身が
自分の発声に行き詰まりを感じていましたし、
その生徒さんたちの声は
当時の私にとってはイマイチに感じましたが、
非常に生き生きとしたエネルギーに
満ちていたのです。
実際、
圧倒されるレベルで強烈な印象
を受ける声でした。
「もしかして、何かあるのかもしれない・・・」
そう感じた私は
まったく分からないながらも
レッスンに通うこことを決意しました。
会場は東京。
私の自宅は山梨県富士吉田。
片道3時間ほどかけて
月2回グループレッスンと個人レッスンに
通いました。
その年の9月には山形蔵王での
2泊3日のワークショップにも
参加しました。
が、やっぱり分からないんです。
ぜんぜん分からない・・・。
他の人の声にスゴいエネルギーがある。
それはなんとなく分かるようになりました。
でも、できないんです。
いくらやっても
『余計なコトするな』
『エゴが入っている』
『そのままの声で』
どうやったらできるのか?
皆目見当もつきません。
が、そんな細かく教えてはくれなかったので、
自分で練習するしか無いな、と想い、
私は自主練を続けていました。
この頃取り組んでいたのが
特殊なロングトーンです。
(現在はコアトーニングというワークで確立してます)
心身を整え、
声を発し、
余韻を感じる。
たったこれだけですが、
声にはその人の心身状態が
現れてしまいます。
それを単なる発声練習として終わらせず
声の響きを自分そのものとして
感じる取るための実践法です。
自分の声と徹底的に
対話する取り組みでした。
続けるうちに分かってきたことは
私は声を出すことは
『特別なことだ』
と思い込んでいたということでした。
声を出すぞ、と思った瞬間
喉や舌やお腹や軟口蓋や声帯が
ピクリ、と動いていることに
気づいたんです。
その動作は本当に必要なのか?
実は不要なのではないか?
そのわずかな緊張は
良い声を出そうとして、
自分の良いところを見せようとして
いるからではないか?
自分ではない誰かの美しい声を真似て
出そうとしているのではないか?
そうして、
練習を始めて半年くらいたったころ。
はじめて、何もしないで
素の自分の声がスルッと
出せたことがありました。
そうなってみてはじめて
それまでの自分の声が
いかにゴテゴテしていて
思い込みに満ちていて、
良い声正しい発声に縛られていたのか
が体感できたのです。
コアトーニングの集中練習は
1年半ほど続きました。
その間、私は歌うことも辞めていました。
あまり歌う気がしなかったからです。
そんなある日、
ひさびさに歌ってみたいと思って、
ふと昔歌っていた曲を歌ってみたのです。
その時うたったのは
J.S.バッハのマタイ受難曲のテノールアリアから
『Geduld』でした。
その昔、とある合唱団の演奏会で
ソロで歌ったことがあったのです。
かなり練習が大変でした。
当時の私の課題は
・上昇音形で喉がキツくなる
・歌詞を喋りすぎて喉や舌が力んで辛くなる
・音程が悪くなる
・声が飛ばない
などでした。
が、数年ぶりに歌ったGeduldでしたが、
妙に楽なのです。
スルスルと声が伸びていきます。
あんなに頑張って
必死に歌っていたはずなのに、
ぜんぜんキツくありません。
歌詞も楽に喋れるし、
高音も軽々出るし、
息が持つのでフレーズが長くなりました。
また、ぜんぜん疲れないのです。
勝手に声が出てしまう感じで、
体への負荷はとても小さいのに
なぜか声量はアップしていました。
一体これはどういうことだろう??
そこでハタと
『声の悩みが無くなっている』
ことに気づきました。
あれだけ悩んで、
各種発声セミナーやレッスン、
いくつもの合唱団を掛け持ちするなど
労力も時間もお金も費やしていても
決して無くならなかった声の悩み。
やればやるほど
他の上手い人が視界に入って
自分の声に自信をなくしていた毎日。
それが
『割とどうでも良くなっている』
ことに驚きました。
私は1年半の間、
決して『良い声』『正しい声』を
求めていませんでした。
私は実践を通じて、
声には自分の心身状態が現れる
ということを体感していました。
先に『こういう声を出そう』と思うのではなく
声を出してみてから
『今の自分の状態は声にするとこんな響きなんだ』
と感じるようになっていきました。
私は声を通じて
『自分』を深めていたのです。
師匠が『声とは自分そのもの』と
言っていた意味がやっと分かりました。
真剣に練習してきたからこそ、
勉強してきたからこそ、
『良い声』『正しい発声』が
自分を強く呪縛していました。
私はそれまでの発声法を捨て去ることが
なかなかできませんでした。
人生において
それだけのエネルギーを注いだことが
他に無かったからこそ、
そこにすがっていたのです。
捨てるなんてとんでもない!
捨ててしまったら自分には何も無くなる!
その恐怖で手放せないでいたのです。
一方で
『一生このままなんて嫌だ!』
『この先に何かがある気がする・・・』
という予感もあったのです。
なぜその予感を信じられたかというと、
師匠が常に
『その先』
を示し続けてくれたからです。
いま現在がどういう状態かは関係なく、
続けていくことで開かれるであろう
可能性未来。
そして、
その可能性がひらいた
その先の世界の音、響き。
そこを常に見せてくれていたからです。
正直私は劣等生でした。
なかなか自分のやり方を
捨てることができなかったし、
変化も遅かったです。
ただ、続けているうちに
ドンドンと自分自身が深まっていきました。
1年半経つ頃には
師匠と一緒にステージに立つ
機会まで得ることができたのです。
たった5分ほど。
しかも私は高くもなく低くもない音域で
極シンプルなフレーズを
同じように延々と繰り返すだけ。
同じことを100回やっても100回成功させる。
これがいかにムズカシイことであるかを
ここではじめて体験しました。
シンプルだからこそ、
その人の全てが現れる。
嘘やごまかしが一切通用しない世界。
自分の生き方がすべて晒されるような感覚。
怖かった。
でもなんとかやり切れた・・・。
深い安堵と自信が生まれたことを覚えています。
いま、私は声について発信し、
オンラインやリアルの機会を通じて
全国の方とレッスンしたりしています。
私のレッスンはシンプルなことを
徹底的に行っています。
しかし、シンプルだからこそ
本質がえぐり出されます。
私は『声とはその人の在り方』だと思っています。
そして、師匠が私に示してくれたように
『いまの状態は関係が無い』
のです。
だから私も
『その先の響き』
を示していきたい。
声を通じて自分自身とより深く対話して、
自分の本当の願いを思い出し、
より自分らしい人生を再創造する在り方。
自分自身と共鳴しながら
自分の大切な人とも響き合うような生き方。
自分のこれまでの全てを燃やし尽くして
喜びへとかえるような声と歌。
誰にでもそんな世界が広がっている
ってことをいつも感じています。
これからも日々声と向き合っていきます。
それでは、ありがとうございました。